緩やかに上流から下流へ

未だに実家にはネットがない。

「亀田」と「時かけ」 - メディアの扇動力がネットに圧される時代
http://c-kom.homeip.net/review/blog/archives/2006/08/post_288.html

メディアの扇動力が以前ほど発揮できなくなっているという印象があちこちで見られることです。

「メディア」でテレビやら何やらをひとくくりにするのは、ちょっと抵抗があるけれど、これはきっとそうなるんだろう。今回の亀田やらなんやらは、TBS以外のテレビ局が結構つっこんでる。これ結構珍しい気がする*1。特にテレビ朝日は激しい。すぐにY!の投票結果だしてきた。最初からネットに注目してたわけだ。それだけネットの力が大きくなってきたってことなのかなあ、と思ってみてた*2。最近はネットを取り扱ったテレビ番組も数多い気がする。検索ちゃん。くるくるドカン。他にも1コーナーとかでは頻繁にネットがでてくるし、CMも「続きはwebで」とか「○○で検索!」とか言ってる。個人的にはああいうCMは、えーめんどいからいいやー、ってなる。一日18時間近くネット見てるけど、そういう気持ちはならない。一般の人はどうだか知らんけど。つまりそう、ネットが広く認知されて利用されてるって判断したってことなんだろう、きっと。
でも、たまに地元に帰って思うのが、ネット普及率の低さ*3。実家には、もちろんネットはないし、さらに言えばPCもいない。あ、買えないってわけじゃないよ。両親の名誉のために言っとくけど。必要ないの。ネットなんか見なくたって死なない。そりゃテレビもそうだけど。あれは垂れ流しだから。能動的に見に行かなきゃいけないネットとはそういう意味では違う。あと、初老のこれまで全くPCに触れたことない人は敷居が高すぎるのもあるか。で、じゃあ、ウチだけかって言うと、そうでもなくて、周りの知人*4はほとんどネットにいない。仕事の説明するにもまずいろいろ前提となる情報を説明しなきゃいけない。そんな状況、おそらく日本中にまだまだあると思う。だから、亀田はさすがにテレビでもなんでも批判が出まくっているので、気づいている人も多いだろうが、「時かけ」やら「ゲドの不評」なんかは、一般知名度は相当低そうだ。突然、中川翔子という人がテレビにたくさん露出し始めて、誰だかわからなかった人も多そうだし、アキバが「なんか」すごいらしい、流行ってるらしいって、漠然と思ってる人も多そうだ。ブログの認知はほぼ100%だそうだけど、これはネットユーザーを対象にしてるからで、一般認知はどれくらいなんだろうか。
もちろん、これからインフラやPCなんかにおいても、どんどん簡略化されて、一般家庭への普及度も格段に増して、日本全国総ネットユーザー化なんてことになっていくのかもしれない。でも、とりあえず、まだそんなみんな思ってるほど、ネットの常識はリアルの常識ではないように思う。ソースはない。これは自分が思ってるだけ。ひょっとしたら、世間は亀田の勝利を普通に賞賛しているかもしれない*5。ひょっとしたら、「ゲド戦記サイコー!」と思っているかもしれない。ひょっとして、「時かけ?ああ、原田知世?」ってなるかもしれない。だから、いつかネットの力は大きなものになるかもしれないが、まだ、少し先じゃないかとなと思ってる。基準は実家にネットが入って、オカンが普通に調べ物をググり出したとき。ちなみにその次のフェイズは、2chにカキコしたとき。さも当たり前のように、ネットの話をしだすには、もう少し配慮がいるかもしれない。「無断リンク禁止アレコレ」にも繋がるかもしれないけれど。
自分と同じ感情・感覚・思考・知識・知能・知性・理性を持つのは結局自分以外いない。

*1:ここまであからさまな八百長がこれまでなかったからかもだけど

*2:ウソ。見てない

*3:もちろん日本中に帰ってるわけじゃないので、ウチだけかもしれないが

*4:地元に残った組

*5:これはないか